2020年1月15日水曜日

米神山


【米神山】
常連さんからご紹介を頂いた動画です。
ネタバレになりますが、私も十年近く前に何度か米神山に登りました。
理由はバレバレかもしれませんが、神山行脚をしていましたので
ここも 米"神山" だったからというのが1つの理由です。

後、不思議シリーズでは別の理由で登っていますが、
まだ未公開作品の為、内容についてはご勘弁ください(^^

動画にもありますが、場所によっては45度以上の急斜面をロープで登っていきます。
お仕事がオフィスワークの人だと手袋がないと手の皮がむけてしまいます。
手袋も軍手生地のものだと1回でボロボロになります。
とは、いうものの
一般の人で40分から1時間ということでしたので体力的なものは不要かも。




動画は最近の山頂の様子らしいのですが、結構木々が高くなっていて
見通しが悪い感じにお見受けしました。
昔、私が登った頃はまだ山頂の木々が小さくて町の様子がよく見えてました。




不思議シリーズの主人公はサザエさんと同じでずっと30歳のままなんですが
実際の私はというと・・・・もう結構な年です。
あと、作品の中ではいろいろ偉そうなことを言ってますが、
現実の私とはかなりのギャップがあります。念の為に。

動画の青年が何歳ぐらいかは分かりませんが、私からすると若いお兄さんという感じに見えます(^^

お若い方々がオカルトに興味を持たれて活動されているのを見るのはとても微笑ましいですね。やさしそうな青年で好感が持てます。
当時と今と変わらないのは、米神山登山口のストーンサークルにはチラホラと人が来るのですが、登山に来る人はほとんどいないように見える点でしょうか。
動画を見ていて登山者を他に一人もお見かけしなかったので、多分山頂に行けば今でも静かに瞑想が出来る感じでしょうね。

4年前の作品ですが不思議体験シリーズの三女神社と三柱鳥居の中で
登山口のストーンサークルを画像付きで少し紹介しています。
もし良ろしければご覧ください。

いつも言ってることなんですが、不思議体験シリーズで紹介したいことが山積しています。それなのに手が回らなくなってきていてジレンマを感じています。
サイトに何度もご訪問くださっている方々には申し訳ない気持ちと感謝しかありません。
みなさん本当にいつもありがとうございます。

新作の 三柱鳥居の謎 と 八咫烏 (不思議体験シリーズ)  よろしければ是非ご覧ください。



2019年10月15日火曜日

古代ロマン


【古代ロマン】
「有史以前に栄えた文明」「超古代文明」という言葉を聞くだけでワクワクするのですが、そういうドキュメント番組は最近ほとんどなくなってしまった気がします。
これだけ情報化社会で地球上の遺跡や様々な情報がネットで自由にみられる現代となってはただのネタ切れなのかもしれないのですが、個人的には別の理由を感じています。

慌ただしく生きていると必要なニュースだけの情報収集で手一杯になり、更にはそのニュースも仕事上必要なものに絞られてくる。こうなると古代文明なんてものに時間をかけてる暇は無いというのが現状となり、それが更には無駄な情報、余計な情報となって、いつしか邪魔な情報という仕分けをしてしまう。挙句の果てにはそういうのに興味のある人が愚かに見えてしまう。或いはそういったレッテルを貼って色眼鏡で見てしまう。

これはUFOや宇宙人の話に興味を持つ人が一様に体験した事と似通っているのではないでしょうか。つまり世間様からはじかれた存在、浮世離れした存在として見られるのです。

「不思議体験シリーズ」というサウンドノベルを作っていると怪しい人として捉えられ、そういったレッテルが貼られます。ところが同じようにサウンドノベルを作っていても恋愛ものやゲーム性のあるもの、を作っている人は普通の人、常識人として評価を受けたりします。ちょっと損だなって思った事があります(^^;

遺跡を巡ったり、歴史博物館を見ていると同様の人がいて初めて会ったのに話が盛り上がる事がしばしばあります。そういう時、私は人には人それぞれのロマンがあって見識を広げていく事は立派な向学心の表れだと自分に言い聞かせてトボトボと帰って来るのですが、流石に身近な人間にはなかなか「超古代文明」の話はできません。

2004年に不思議体験シリーズで「失われた大陸」というのを公開した時も反応が気になりました。この頃は本当に短く触れる程度で作っていたのに世間様を気にしていました。それから10数年後だったでしょうか。常連さんからメールが来て、

{「失われた大陸」にあった橋杭岩のある串本町の沖合に高度文明が栄えた島が一夜にして沈んだってTVでやってましたよ}

動画で検索したらすぐにヒットして無事に見る事が出来ました。ワクワクしました。フィクションですが透視で見聞きした内容が当たらずとも遠からずだったのかも知れないと思いながらTVのドキュメント番組を楽しんだ記憶があります。

ネタバレするので詳しくは言えませんが、私が見たのはそんなに近くに沈んでる島ではなかったんですよね (^^;







2019年8月28日水曜日

音楽の力






【音楽の力】
今から16年ほど昔、サウンドノベルを作る際にBGM用の楽曲を探していて出会った曲が「目覚めの予兆」と、もう一つはエンディングの「夢幻の旅路」という曲でした。KENJIさんという方の楽曲です。初めて聴いた時から魅かれました。音楽は天界(高次元)と繋がるツールだと思いました。

作曲する人はきっと天と繋がっているんだと思いました。この世界に無いものを出現させるというのはそういう事だと思うのです。天界にあるものがこの世界に流れ落ちて来ている。それをキャッチできる感性は天界との交信をしながら受信しているという風に思いました。

全国にある「三輪鳥居」行脚をしていて大阪にある三輪鳥居を幾つか見て回り、その後大阪城を見に行きました。近くにあるTWIN21というビルがあり、その展望室から大阪城を見る事が出来るというので行ってみました。するとそのビルの一室で〇本教の教祖の個展があったのですが宗教嫌いの私は完全にスルーをしました。

ところがエレベーターの乗り間違いがあってエスカレーターで一度下りて戻ったりしていたら、またその教祖の個展展示場の前に出てました。そんな事が2度もつづいたので結局入って行くことにしました。宗教に勧誘されることはなく作品も見事でした。ここからはフィクションと思って聞き流して下さい。1つだけそこはかとなくエネルギーを感じる作品があったのが印象的でした。

その作品の前を通ると動けなくなり驚きました。しかもメッセージ的なものを受け取りました。その時のことをサンノベで紹介しようと思ったのですが宗教絡みになるので断念しました。「芸術は神懸り」的な話があったと思うのですが、私にはピンと来ませんでしたが少し納得しました。

音楽に対しては確かに「神懸り」だと思うことが多々あります。古い木造校舎で音楽を聴くと懐かしさを倍に感じられますし、逆にオドロオドロした曲をかけると学校の怪談を思い出して怖くなったりします。音楽マジックなんでしょうね。私的に「音楽は神懸り」だと感じる一例です。

ヘミシングやα波やθ波なんかのヒーリング音楽、〇〇ヘルツの曲など「ヒーリング」「癒し系」音楽をYouTubeで検索すると幾らでもヒットします。結局、人は音楽に感化されながら生きているんだと思いました。私の場合は「懐メロ」が一番のヒーリングになる事がありますから人それぞれの感性で音楽を利用することが望ましいと思います。









【音楽療法】
音楽療法というのがあります。別の動画で「音楽教育は教えること」「音楽レクリエーションは楽しむこと」そして「音楽療法は自らの持ってる力を引き出すもの」と考えるのだと説明がありました。その人の持つ治癒能力を引き出させることで緩和させる方向へ繋げていくのだそうです。

【ASMR】
whisper voiceを使った動画を最近みかける事が多くなりました。一種のサブリミナル的な効果を狙っているのでしょうか。医学的な効果は不明としながらもWikipediaによると痛風軽減などの効果があるらしいです。ただし私の様に音楽以外の動画は全て1.5倍速以上で見る人にとってはASMRの効果は分かりませんでした。

【南部鉄】
医学的な効果云々を別にすると以前に不思議体験シリーズ内で紹介したことがあるのですが「南部鉄の風鈴」というのがあります。二日酔いにも効果的だとTVで紹介があって早速買いに行ったのを昨日の様に覚えています。思うにこれらは「振動」による影響を受けているということなんだと思います。その人に合った振動数、その人に必要な振動数、その人の不足している振動数を即断できれば医療用に転化できると思います。

【脈診】
昔インド人に脈をとる脈診によって体調や病を言い当てられたことがありますが、それもまた一つの「生体振動数」を測定した診察という事になるのでしょう。オカルト的に言うと未来の人生に何が起きるのかも示されました。とても興味深かったです。

【言霊】
言霊や真言についてのサンノベは結局表立った公開ができなくなりましたが、これも振動数によって効果を得るものなのかもしれません。

とりとめもない話に発展してしまいましたが、未来は「振動数」の研究がどの分野でも効果的に生かせるように発展することで人類の文明を大きく左右するほど進化に繋がるだろうと思います。これらの分野がどこまで発展を遂げるのかとても興味がありますし、振動エネルギーは重力や推進力などの分野にも広がっていき例外なく全てに影響を与えるものと思います。人類の為に平和で安全に癒しと進化をもたらすものとして確立されることを願います。

※「遂げる」の背景色はバグなのかどうか分かりませんが背景色に戻りませんでした。


2019年8月9日金曜日

八幡の藪知らず



【二酸化炭素のトラップホール】

「致命的なCo2ポケット」というタイトルの動画を教えて頂きました。

Co2はご存知の様に酸素よりもずっと重いので低地や穴(ポケット)に滞留することがあります。そこに動物が入り込むと意識を失って息絶える事になります。

山中で気を付けないといけないのは極々たまにそういう魔のスポットが存在するという事です。Co2は、たちが悪いと言われるのは無色無臭で判別が出来ない点にあります。

「八幡の藪知らず」「藪知らずの森」で人が帰って来られなくなる原因はCo2が滞留しているせいだと考えていました。役所にもそのような資料があるので、それが原因だと思っていました。この辺りは「八幡の藪知らず 葛飾八幡宮 」というサンノベ作品に書いた通りです。

「藪知らずの森」は、中央部が若干低くなっているのですが昔はもっと高低差のある窪地だった事も記載があります。

実際に行ってみますと今はほとんど中央部は窪地ではなくなっていますからCo2やその他の有毒ガスの心配はなく、また公道にまで伸びていた竹林や木々の伐採の為に人が何人も森の中へ出入りしている事も分かりました。要するに現代では生還者がいるという事です。旧サイトに画像を公開したのですが駐輪所からだと柵のカギが開いており、普通に開けて出入りできる状態でした。

拍子抜けした感じはありましたが、それでもやはり肝試しなどで遊び半分に侵入するという場所ではないですね。実際に亡くなった方々や何か分からない異常をきたした人だっていると伝えられているのですから、触らぬ神に祟りなしってことです。

「藪知らずの森」の事は昔から知っていたのと、ある程度の年頃になってからはガス説だと決めてかかっていましたから窪地に注意すべきだと思っていました。

そんな折、見事なまでにすり鉢状の窪地を見つけたのが「井光 歴史に刻まれた宇宙人」で紹介をしました井光の井戸跡でした。あそこに下りていく時、実は鳥が下りていくのが見えたのでそれを確認してから下りて行ったので心配はありませんでしたが、もし鳥が来なかったら下りてないか、下りたとしてもドキドキしながら下りて行くことになったと思います。窪地だからと言ってどこにでもCo2が滞留してるなんてことはありませんが「藪知らずの森」のガス説という予備知識が頭に残っていたのでナーバスになっていました。

知らぬが仏だったのかもしれませんが、それでも予備知識はあったに越したことはありません。実は「藪知らずの森」の様なところは幾つかあるからです。中にはガスでは説明が付かない場所があり、しかも知らずに侵入するところで間一髪だった場所がありました。

侵入を止めたのは直感というよりも知らない人が突然現れて止めてくれたのですが
その人がまた突然いなくなったというウソの様な体験でしたが、サンノベでは更にもう少し話を膨らませて大袈裟に書こうと思っています。

盆休みに海や山、いろんな所へ出かけられるかとは思いますが、何か妙だと感じたら入って行かずに戻ってくるというのも勇気の一つです。物理的に危険な場所もありますが目に見えない力の働いている場所やガスなどの危険地域だってあるかもしれません。休暇の旅は兎に角安全に無事に帰ってくることが最大の目標で、それなしでは楽しい思い出にはなりません。どうぞ皆さん、楽しく安全に良い休暇をお過ごし下さい。

余談ですが

酸素よりも重い筈のCo2が、なぜオゾン層を破壊できるのでしょうね。どうやって高度約10 - 50 kmほどの成層圏まで上昇したのか困惑するばかりです。もしかしたらオゾン層を破壊しているのは別の原因があるのではないでしょうか。

2019年7月17日水曜日

光の使者


【光の使者】

古い作品ですが、不思議体験シリーズの「光の使者 現る」(2012年)という作中で、
光の存在"らしき"人物の画像を公開したのですが、当時はいろんなご意見がありました。ま、実際のところあれが何だったのかは私にも分かりませんが、
少なくとも"何かがそこにいる"と感じてシャッターを切ったのがあの写真でした。

その時の画像を見られた方がいましたらご存じかもしれませんが、古い作品ですし、少々説明をしますと、撮影した画像には真っ白いガウンに紫色の顔の人が映っていました。紫の人種ってありえないですが、私にはそう見えましたし、実際に画像を確認するとやはり紫色の肌でした。

さて、今日ご紹介した動画は自己満足とはいえ、私に勇気を与えてくれるものでしたので皆さんにもご覧頂き幾らか不思議な気分に浸って頂ければ、などと思っています。

こちらの動画にはまさに真っ白い服に紫色の顔の人物が映っていて、個人的には驚愕ものでした。不思議シリーズでは選択肢を設けた画像は実際に「何かが映った画像」をそのまま公開していますので賛否両論あり、「素晴らしい」「神々しい」という方と「加工写真」「下手なコラ画像」だという方もおられました。

フィクションとして公開している訳ですから写真の是非についてどう評価されてもかまわないのですが、この動画は私にとって非常に勇気を与えられ、励まされました。願わくばこの動画が本物である事を祈らずにはいられません。

2019年7月14日日曜日

キリストの再臨



【キリストの再臨】

以下、トンデモオカルトな私の独自訳を爆発させるお話ですので、フィクションとしてお聞き流し頂ければ幸いです。

聖書では人類の最後の時、つまり終末の時にキリストが再臨し、空中携挙(けいきょ)によって人々を救済すると伝えています。空中携挙というのは人々が生きたまま空中に引き上げられキリストが神の国へと連れて行くことを言います。神の国というのは不老不死の世界という事になります。

コリント15章50節
[血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。]と記載がありますが、要するに「3次元の肉体では高次元へ移行できない」というトンデモオカルトな独自訳に至る訳です。
また聖書には[あなたがたは朽ちない体となって神の国へ入るのです]とあるのですが、これもトンデモオカルトな独自訳では「光の体に進化し、高次元に移行する」という風になります。

聖書ではキリストの再臨は全人類が同時に見る事になる。とあるのですが、私が子供の頃にこの一文を見た時「それは不可能だ」と思いました。もちろん神なら何でも出来るだろうけども見る側は生身の人間なのだから世界中の人が同時に見るというのは無理があると考えていましたし、それ以上の事は想像が出来ませんでした。

ところが・・・。

時代がどんどん進化して、気が付けばスマホがあれば、今やライブ中継でニュースやスポーツ観戦が出来る時代になっていました。

これがどういう事かと言いますと「終末が近づいて来た」という事になるのではないでしょうか。少なくともその時代に突入していて、全世界の人が同時に1つの出来事を見れる時代であるという事になります。準備段階の時代ではなく、準備が完了した時代という事になります。

欧米ではキリスト教が普及していて、ある程度このような聖書の内容を一般人が知っている訳ですが、キリスト教のあまり普及していない日本なんかだと、
もし、万一、ある日突然天空にキリストが現れても「ありゃ、なんじゃい? 観音様かいの?」って事になるのではないでしょうか。

観音様でも何でも日本だとそれを見て手を合わせて有難がるお年寄りがいて、そういう人は漏れなく救済されると思うのですが、問題はスマホを取り出して撮影したり、インスタ映えを狙ってガシャガシゃ写真を撮ってる若者なんかの事が心配になります。
「その時が来たら、ちゃんと拝みますよ」と軽く笑みを浮かべる若者の姿が浮かんでしまうのですが、普段からの行いが危機的状況下でも反映されると思うのです。

老婆心ながら、終末が来ようと来まいと神仏を尊び、日頃から心身を清めることは結局自身の為だと思うのです。などと偉そうな事を言ってみました。こんな説教臭いことを言うのですから私もホント歳をとってしまった様ですネ。





アポカリプティック・サウンド

さて、終末の前兆として聖書では「天使のラッパ」が吹き鳴らされると書かれています。アポカリプティック・サウンドやストレンジ・サウンドとも呼ばれる事がありますが、ストレンジと言いますと奇妙という意味になり、少々ニュアンスが違ってきますが、そういう表現があるという事でしょうね。
そして当たり前ですが、これを聞いた人はまだいませんし、もし聞いた人がいたら人類は既に終了している事になります。

ところがここ数年前からそれらしき音が世界各国で聞かれるようになり、ニュースになるほど大騒ぎしています。いよいよ終末かもしれないという不安と恐怖からなのでしょう。このアポカリブティック・サウンドですが、これがもし日本で聞こえていたら大して話題にならなかったと思います。信じている宗教や思想が違うからで「所変われば品変わる」というヤツでしょうね。

キリストを信じる人や、或いは神仏を敬う人々がいよいよ立ち上がって"使命"を果たす時なのかもしれません。特に神国と言われる"国々"の人は責任重大なのではないかと思います。



2019年7月8日月曜日

自分が思う事しか・・・


【自分が思う事しか・・・】

おかしいと思われても、オフで興味がある事にしか行動的になれない。
人に迷惑をかけず、人類の為にそして自分の為に「善」だと信じることを追求する。
結局それが自身の生まれて来た目的だったり使命だったりするのではないだろうか。

出来る範囲でそれを行った結果、失笑されても、誰かの楽しみになっていたり、
誰かの何かのヒントになっていたり、社寺やパワースポットの旅の参考にでもなれば
それはそれで上出来かなと思って満足できる。自分にはそれ以外に何もできないのだからだ。

出来ないなりに人様に喜んで貰える事をする。その中でこの時代の人にメッセージを届けられたらこんな満足の出来る人生はないだろう。欲をかかないで今自分に出来る事をするだけで良いのだ。この世で笑われるだけの人生であっても天国ではどう評価されるか分からない。

神仏の前に出た時、自分に恥じない活動をしていきたい。私がフィクションとして公開する理由は人様に妙な影響を与えたくないからだ。人はそれぞれが尊く、与えられた大切な人生と使命がある筈なのだ。そして人生の目的はその人自身が人生という与えられた時間の中で見つけていく旅なのだろうと思う。

私の書いているフィクションの物語は今の時代には時期尚早かもしれないけれど人類はいつか精神的にも肉体的にも進化するに違いない。意識改革そして覚醒と進化によって宗教戦争も経済戦争も領土問題も貧困や格差、人類が先延ばしにしてきたあらゆる問題が解決されていくと信じている。

私の作っているトンデモ作品は人様に笑われ続けて16年が経つというのに、いまだに作り続けられる原動力の根底には社寺への訪問時、或いは祈りや瞑想中に神仏の守護を強く感じられるからかもしれない。もちろん読んで下さる人がいるという事実に励まされている事はいわずもがな。

全ては神仏が知っている事であり「善」だと信じて行った結果、たとえその選択が失敗だったとしても、その時、その瞬間に自身が出来ることを精一杯に最善を尽くして行ったのならどのような審判を下されても納得のいくものとなるだろう。

今回もまとまりのない駄文ですが、メールをくださった方へのお返事をそれとなく入れてみました。いつもありがとうございます。大変励みになりました。