みなさん、こんばんは。
いつもご訪問を頂きまして有難う御座います。
いつもご訪問を頂きまして有難う御座います。
>>フジテレビの件
そうですか、そのような考察が出来る訳ですね。
とても感慨深く拝読させて頂きました。
では、私も一つ。
「富士は晴れたり、日本晴れ」と言いますから
フジテレビに掛っていた霧(汚れ)が一掃されて
不死(進化への道)がハッキリと見えて来るようになれば
有難いな~。などと思いました。
大した考察は出来ませんでした。申し訳ありません。
新訳日月神示 06日月の巻
https://www.youtube.com/watch?v=2W93jw_uMNQ
本日は
心の在り方の一つとして
お聴き流して頂けましたら幸いと思います。
急遽テーマを変更しましたので
変な文章になってしまいました。(←いつものことやん!)
人は皆、寿命というものが有ります。
つまり今、生きているという事は
自ずと、死へと向かっているという事です。
それは生まれた瞬間から、既に
カウントダウンが始まっているという事になります。
さて、お話は変わりますが
実はメールで4年前の記事。
という、ブログの記事を読まれた方から
「とても怖い」
「不安」
などというご感想を頂きました。
実は私にとっては
「2025年7月5日」など比較にならない程
多分、それよりは100倍以上も怖いお話があります。
丁度、その話をブログに書こうとしていたところでしたが
「2025年7月5日」の話がとても怖くて不安という
ご感想を聞きまして、
100倍以上怖い、比較にならないという御話は、
ブログでは出来そうにないな~って、思った次第です。
などと申しますと
いや、いや、そもそも
そんな怖い話をわざわざしなくても良いのでは?
と思われるかもしれませんが、
これだけは言っておかないと
まだ気付いていない方というのも一定数はいる訳ですし
何となく気付いている方もいれば
言われないと気付かないという方もいらっしゃる訳です。
私も、もういい歳ですから、
いつお迎えが来るか分かりません。
それで、どうしても
御話をしておかないといけないと
考えていたのですが
どうやら、神仏からストップがかけられて、
今、話すことではなくて
時期尚早という事を知らされたのかもしれないと受け取り、
取り止める事に致しました。
やはり、この手のお話は
フィクションの作品の中でのみ
安心してお読み頂くのが良いと思いました。
いつか、また機会が有りましたら作品の中で
御話をして参りたいと思います。
さて
「2025年7月5日」ですが
皆さんが、どの様に受け取られているかは分かりませんが
そして、この手の動画を観られまして、
どの様な考え方に至っておいでなのかは
知る由もありませんが、
私は、氾濫する情報はいつだって玉石混交であり
それを拾い集めて精査する必要を感じます。
更にそこから「中道」である様に自身を戒めています。
そして、是々非々主義的に物事を判別していく訳ですが
裁判所の判決でよく聞きますのは
「疑わしきは罰せず」という大前提がありますから
データや証拠となるもの物証、証言、自白、など、
決め手が無い案件に関しては寛容にならざるを得ません。
ですから、エビデンス無きものは無罪だと
多くの被告人は勝手に思い上がって高をくくっている訳です。
ところが、しかし
状況証拠というものを軽んじてはいけません。
この状況証拠によって有罪判決を受けた判例はいくつも有ります。
判例集を開きましたら、それは歴然としていますから
愕然とされる被告人もいる訳です。
話が逸れてしまい、
千さんは何の話をしているのだろうと
思われているかもしれませんね^^
キリスト信者的と言いますか
聖書の説教では、人は生まれながらに罪人というスタンスで
話を進める事がありますので、私もそれにあやかってみたのですが
なんだか、分かりにくい話になっていましたら、申し訳ありません。
とりあえず、このまま話を進めますが
罪人というのは
白黒ハッキリ付ける前に、
そうなる前にやっておくべき事があるという事です。
被告人にとって判決が出た時がある意味においては終焉です。
覚悟を決めるべき時点であります。
そうなる前に、悔い改めるべき事は悔い改め、
心身を清らかにしていかなければ、
幾ら刑期満了まで務めたといたしましても
それは此の世だけの建前であり"形"だけ、
"形式"だけの"つぐない"でしかないという事です。
それでだけでは結局のところ
死後の世界で、再び、神仏からお説教されたりする訳です。
お説教だけで済めば、
まだしも、永遠の地獄にでも投げ込まれでもしましたら
たまったものではありません。
後悔先に立たずとは言い得て妙だなんて
のんきな言葉すら出てきやしません。
日月神示にもありますが、
死んでから改心というのは本当に困難だという事です。
死んでからの修行というのも、またしかりです。
改心するのも修行するのも、
生きている間におやんなさいという事に付きますし、
此の世で生きているという事は、それ自体が修行という事です。
わざわざ過酷な修行をする必要はないと私は考えていますが
敢えて、肉体的に苦痛を伴う修行をされる方もおいでです。
そういう方はそういう道を選ばれたのですから、敬いますが
普通に、犯罪をしないで、正直に生きるという事が
如何に大変かという事を考えますと、
やはり、まっとうに生きている事自体が
十分にその人の修行になっていると
私は考えます。
寿命というのは各自違っていますが、
皆さんの与えられた寿命はカウントダウンされている事に変わりありません。
その与えられた時間内に個々人のやるべき事(ミッション)を達成させるのです。
そういう訳ですから、
人生(寿命/時間)という尊く聖なる時間を大切に有意義に
お使いくださる事をお勧め致します。
人生の修行というのはいろいろあって、
出家しなくても、宗教に入信しなくても良い訳です。
被災者の方や犯罪被害者、交通事故、カルトに関わった人、持病のある人
また、まっとうな宗教と云われていましても、やはり
宗教二世はいろいろと辛いと聞きます。小さな事では
家の確執だとか、お姑さんとの仲だとか、ご近所との揉め事などなど
これら全てが修行ではないでしょうか。
小さな事と言いましても、当事者のご本人さんにしましたら大変な事です。
そこで恨みつらみに傾倒せずに、如何に自身を成長させていくかが修行では
ないでしょうか。もちろん逃げるのも一つの手段です。
世の中にはヤバイ人っていうのがいますから、
いつまでも関わっていたら、
修行どころか寿命を終わらせる様な被害に遭う事だってあります。
逃げるというと人聞きが悪いですが、そうではありません。
執着して、いつまでも相手にしていて、論破してやろうなど
インテリぶっていたら、殺されてしまったなんて事になったら話になりません。
後になって、相手に対していつまでも執着しないで、
一歩引いていれば良かったと、思う事だってあります。
修行から逃亡すると考えるのではなく、低級霊に憑かれた人には
近付かないし、関わらないという風に、
少しだけ考え方を変えてみるのも良いでしょう。
さて、長々とお話をして参りましたが
タイトルの「終焉の受け取り方」ですが
当ブログの
をご覧になって怖かったという方には
お勧めは致しませんので、
そのまま、動画を観ないで、私の考え方をお読みください。
以下の動画は全て
「2025年7月5日」に関するものです。
つまり、今年ですよね。
これらをご覧になったらば、
大体の方は感化されてしまい、信じていない人でも
何となく、自分も終わっちゃうのかな~なんて思ったりします。
私は「中道」と言いながらも、
こんなにも幾つもの動画を見せつけられたり、
また、数字によるデータ、証拠が無くたって、
状況証拠からして、不安になったりします。
ところが
しかし、
ここで、考えて頂きたい事は
もう自分の寿命は終わるかもしれない、
もし、寿命が尽きるのであれば
心を広くもって、悟った気になってみるという事です。
そして
「せめて最後に良いことをしよう」
「自分に酷い事をした人を許してあげよう。どうせもう終わりなんだから」
「みんなの為に祈りを捧げてあげよう」
などなどと、良い事を思ってください。「思い、言動、行い」です。
大変なのは
もう何もかも終わりだって、なった時に
よし、じゃあ、自分に酷い事をした人をとっちめに行ってやろうとか
アメリカでよくある暴動や何かの運動が過激化して、
店に押し入って、何でも欲しいものを盗み取ったりだとか、
ヤケクソになって、人のモノを盗んだり、人を呪ったり、
呪詛を掛けたり、呪いの札を仕掛けたりして
人を傷つけたりするという方向に転じる人がいますが、
それこそが、その人の本性であり、
終焉の時に裁かれる事になる要因になって来ます。
やり直しをさせられる訳です。
何度でも輪廻転生でやり直しの人生を及第点を取れるまでやらされるのです。
それでも、生まれ変わりのチャンスを貰える人は、まだ良い方です。
ずつと長い間、永遠とも思える長い時間を
暗い地獄の様なところで刑を受けている囚人生活なんて耐えられません。
耐えられないと言っても自死はできません。もう死んでいるからです。
これはもう地獄です。死ねないのですから逃げられません。
最後の時に良い行いをするのか、悪い行いをするのか
悔い改めて人を許すのか、悔い改めず、人を許す事をしないのか
結局、永遠の裁判(審判/神判)での判決はそこの部分が考慮されて、
言い渡されるという事を知っておいてほしいのです。
これは、キリスト教徒だけでなく、仏教だってそうです。
閻魔様に審判される訳ですから。
聖書には3分の1の人が残り、3分の2の人が天に召されるとあります。
もしその時が来ましたら、
それが神仏の決定事項であり、
また天界の計画だと定められているのでしたら
どうか、召される人が楽に一瞬に苦しまないで召されます様に。
残される方々は、健康を維持され、平安であり、
これからの人類の新たな世界を
しっかりと生き抜くだけの気力と体力を与えてあげてください。
と、僭越ながらお祈りを致しました。
これは飽く迄も私の様な年寄の思うところですが
生き残って若い人たちの足手まといには
なりたくないというのは、年寄だけでなくとも
気力体力に自信のない人にとっても同じではないでしょうか。
被災地では気力と体力が必要だからです。
それで、どなた様もどんな人であっても、生き残ったのであれば
何とか、気力体力を維持させてあげてくださいと
祈らずにはいられなかったのです。
本当に長々と話してしまいましたが、
これらの終焉ともとれる様な以下の動画を拝見していましても
良かったと思う事があります。
それは、今まで以上に人類に対して
愛情をもって祈りを捧げる事が出来たからです。
こう考えてみてください。
例えがよろしくないのですが、
親や兄弟や子供や友人、親しい人達が
病気になるという動画があったとします。
するとそれを見た瞬間から、それらの親しい人に対して
今のうちに、親孝行をしようとか、もっと親切に
もっと大切に、もっと適切な愛情のある言葉を
使って接しようと思える訳です。
7月5日の動画を観て、人に親切にしたり
愛情ある行動に転じたり、
善行に転じたとしましても、
もし何もなかったら気恥ずかしいなどと
思う人がいるかもしれませんが
それは本当にささいな事です。
「親孝行したい時に親はなし」
親しい人や、出来れば関わりのある人に、善を尽くしてあげてください。
それによってあなた自身の天界でのポイントがちゃんと加算されています。
天網恢恢疎にして漏らさずとは、悪い行いにだけでなく
良い行いにだって言える事だと私は信じています。
神仏は全てを知っているからです。
ただし、世の中には真逆の行いをする人もいる訳ですが
そういう人は死後の世界を知らない気の毒な人なのです。
聖書にはこうあります。
人は必ず捲いた種を刈り取らなければならないのです。
良い事をしたら、良い物を刈り取り、
悪い事をしたら、悪い物を刈り取るのです。
以上の様に聖書にもちゃんと、
めぐりやカルマの法則の記載があるという事です。
犯罪者の多くは死んだら終わりだと考えていますから
やり得だというトンデモな考え方をして行動に移してしまうのですが
これが、大変な間違いであると死後の世界で、知った時は
まさしく時既に遅しなのです。
2025年に日本人の3分の2が死ぬ
https://www.youtube.com/watch?v=ltFms77q0i0
【2032年地球終焉の真相】
『奇跡のリンゴ』木村秋則さんが宇宙人に聞いた、
2025年・2032年の驚愕の未来【都市伝説 予言】
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22世紀からやってきた未来人が全てを語った…衝撃の真実
【都市伝説 予言】
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伊勢神宮で観測された400倍の異常値!
2025年日本消滅の危機【都市伝説 怪談 予言 2025年 雑学】
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https://www.youtube.com/watch?v=CTNjLFvaJiA
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本日はここまでです。
最初に書こうとしていたテーマを変更してしまいましたので
なんだか、内容がぐたぐだになってしまいました。
いつもご来訪を頂いています方々、メールをくださっている方々
有難う御座います。皆さんに神仏の祝福が有ります様に。