2019年7月17日水曜日

光の使者


【光の使者】

古い作品ですが、不思議体験シリーズの「光の使者 現る」(2012年)という作中で、
光の存在"らしき"人物の画像を公開したのですが、当時はいろんなご意見がありました。ま、実際のところあれが何だったのかは私にも分かりませんが、
少なくとも"何かがそこにいる"と感じてシャッターを切ったのがあの写真でした。

その時の画像を見られた方がいましたらご存じかもしれませんが、古い作品ですし、少々説明をしますと、撮影した画像には真っ白いガウンに紫色の顔の人が映っていました。紫の人種ってありえないですが、私にはそう見えましたし、実際に画像を確認するとやはり紫色の肌でした。

さて、今日ご紹介した動画は自己満足とはいえ、私に勇気を与えてくれるものでしたので皆さんにもご覧頂き幾らか不思議な気分に浸って頂ければ、などと思っています。

こちらの動画にはまさに真っ白い服に紫色の顔の人物が映っていて、個人的には驚愕ものでした。不思議シリーズでは選択肢を設けた画像は実際に「何かが映った画像」をそのまま公開していますので賛否両論あり、「素晴らしい」「神々しい」という方と「加工写真」「下手なコラ画像」だという方もおられました。

フィクションとして公開している訳ですから写真の是非についてどう評価されてもかまわないのですが、この動画は私にとって非常に勇気を与えられ、励まされました。願わくばこの動画が本物である事を祈らずにはいられません。

2019年7月14日日曜日

キリストの再臨



【キリストの再臨】

以下、トンデモオカルトな私の独自訳を爆発させるお話ですので、フィクションとしてお聞き流し頂ければ幸いです。

聖書では人類の最後の時、つまり終末の時にキリストが再臨し、空中携挙(けいきょ)によって人々を救済すると伝えています。空中携挙というのは人々が生きたまま空中に引き上げられキリストが神の国へと連れて行くことを言います。神の国というのは不老不死の世界という事になります。

コリント15章50節
[血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。]と記載がありますが、要するに「3次元の肉体では高次元へ移行できない」というトンデモオカルトな独自訳に至る訳です。
また聖書には[あなたがたは朽ちない体となって神の国へ入るのです]とあるのですが、これもトンデモオカルトな独自訳では「光の体に進化し、高次元に移行する」という風になります。

聖書ではキリストの再臨は全人類が同時に見る事になる。とあるのですが、私が子供の頃にこの一文を見た時「それは不可能だ」と思いました。もちろん神なら何でも出来るだろうけども見る側は生身の人間なのだから世界中の人が同時に見るというのは無理があると考えていましたし、それ以上の事は想像が出来ませんでした。

ところが・・・。

時代がどんどん進化して、気が付けばスマホがあれば、今やライブ中継でニュースやスポーツ観戦が出来る時代になっていました。

これがどういう事かと言いますと「終末が近づいて来た」という事になるのではないでしょうか。少なくともその時代に突入していて、全世界の人が同時に1つの出来事を見れる時代であるという事になります。準備段階の時代ではなく、準備が完了した時代という事になります。

欧米ではキリスト教が普及していて、ある程度このような聖書の内容を一般人が知っている訳ですが、キリスト教のあまり普及していない日本なんかだと、
もし、万一、ある日突然天空にキリストが現れても「ありゃ、なんじゃい? 観音様かいの?」って事になるのではないでしょうか。

観音様でも何でも日本だとそれを見て手を合わせて有難がるお年寄りがいて、そういう人は漏れなく救済されると思うのですが、問題はスマホを取り出して撮影したり、インスタ映えを狙ってガシャガシゃ写真を撮ってる若者なんかの事が心配になります。
「その時が来たら、ちゃんと拝みますよ」と軽く笑みを浮かべる若者の姿が浮かんでしまうのですが、普段からの行いが危機的状況下でも反映されると思うのです。

老婆心ながら、終末が来ようと来まいと神仏を尊び、日頃から心身を清めることは結局自身の為だと思うのです。などと偉そうな事を言ってみました。こんな説教臭いことを言うのですから私もホント歳をとってしまった様ですネ。





アポカリプティック・サウンド

さて、終末の前兆として聖書では「天使のラッパ」が吹き鳴らされると書かれています。アポカリプティック・サウンドやストレンジ・サウンドとも呼ばれる事がありますが、ストレンジと言いますと奇妙という意味になり、少々ニュアンスが違ってきますが、そういう表現があるという事でしょうね。
そして当たり前ですが、これを聞いた人はまだいませんし、もし聞いた人がいたら人類は既に終了している事になります。

ところがここ数年前からそれらしき音が世界各国で聞かれるようになり、ニュースになるほど大騒ぎしています。いよいよ終末かもしれないという不安と恐怖からなのでしょう。このアポカリブティック・サウンドですが、これがもし日本で聞こえていたら大して話題にならなかったと思います。信じている宗教や思想が違うからで「所変われば品変わる」というヤツでしょうね。

キリストを信じる人や、或いは神仏を敬う人々がいよいよ立ち上がって"使命"を果たす時なのかもしれません。特に神国と言われる"国々"の人は責任重大なのではないかと思います。



2019年7月8日月曜日

自分が思う事しか・・・


【自分が思う事しか・・・】

おかしいと思われても、オフで興味がある事にしか行動的になれない。
人に迷惑をかけず、人類の為にそして自分の為に「善」だと信じることを追求する。
結局それが自身の生まれて来た目的だったり使命だったりするのではないだろうか。

出来る範囲でそれを行った結果、失笑されても、誰かの楽しみになっていたり、
誰かの何かのヒントになっていたり、社寺やパワースポットの旅の参考にでもなれば
それはそれで上出来かなと思って満足できる。自分にはそれ以外に何もできないのだからだ。

出来ないなりに人様に喜んで貰える事をする。その中でこの時代の人にメッセージを届けられたらこんな満足の出来る人生はないだろう。欲をかかないで今自分に出来る事をするだけで良いのだ。この世で笑われるだけの人生であっても天国ではどう評価されるか分からない。

神仏の前に出た時、自分に恥じない活動をしていきたい。私がフィクションとして公開する理由は人様に妙な影響を与えたくないからだ。人はそれぞれが尊く、与えられた大切な人生と使命がある筈なのだ。そして人生の目的はその人自身が人生という与えられた時間の中で見つけていく旅なのだろうと思う。

私の書いているフィクションの物語は今の時代には時期尚早かもしれないけれど人類はいつか精神的にも肉体的にも進化するに違いない。意識改革そして覚醒と進化によって宗教戦争も経済戦争も領土問題も貧困や格差、人類が先延ばしにしてきたあらゆる問題が解決されていくと信じている。

私の作っているトンデモ作品は人様に笑われ続けて16年が経つというのに、いまだに作り続けられる原動力の根底には社寺への訪問時、或いは祈りや瞑想中に神仏の守護を強く感じられるからかもしれない。もちろん読んで下さる人がいるという事実に励まされている事はいわずもがな。

全ては神仏が知っている事であり「善」だと信じて行った結果、たとえその選択が失敗だったとしても、その時、その瞬間に自身が出来ることを精一杯に最善を尽くして行ったのならどのような審判を下されても納得のいくものとなるだろう。

今回もまとまりのない駄文ですが、メールをくださった方へのお返事をそれとなく入れてみました。いつもありがとうございます。大変励みになりました。