2025年8月11日月曜日

恩"臭"の彼方に

 ストレス、不安、憂鬱を和らげるリラックスできる音楽 
🌿 心、体、魂を癒します #22
https://www.youtube.com/watch?v=IbQiZE6KuWc




皆さんこんにちは。
いつもご来訪を頂きまして有難う御座います。
今週は連休と重なりましたので
長いお盆休みとなりますが
皆さんはどうお過ごしになられるのでしょうか。
私は暑さ負けをしかけていますが
何とか挫(くじ)けずに頑張っています。
それから、もう歳ですので、あまり頑張り過ぎない様にと
周囲から声かけされています (;^_^A 汗

そしていろいろと工夫をしています。
部屋を青っぽいライトと装飾にして
風鈴を吊るし、川の音、波の音、雨の音のBGMなどを
流しながらデスクに山積みされた作業をコツコツとこなしています^^



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【本来なら悪、なれど善】
昔のヒーローにデビルマンというのがありました。
また高倉健さんの映画なんかが流行っていたりしました。
何が人を惹きつけるのかと言いますと
ギャップなんだと私は思いました。

悪魔側の存在が人類の為に命を懸けて戦う。
やくざ稼業の渡世人が、人情暑くて人助けする。
要するに
不良少年が人助けする。
前科者が人命救助する。

そんな構図が受けた訳です。

リアルな話では
入れ墨の入った元ヤクザが僧侶やクリスチャンになって
人様の為に活躍するという構図に
世の若者達は憧れの視線を向けたりしました。
ところが、しかし、
悪い事をしていた時には沢山の人を悲しませていた訳です。
それなら、はじめから、
真面目に頑張って来た人の方が偉いに決まっています。
これは全くの正論ですよね。

ところが、しかし、
こういう事があります。
悪い事をしていた人は
罪滅ぼしの為にと物凄く心を込めて人の為に尽くします。

一方で、何も悪い事はしていない人は
それほど心を込めて人事を尽くす事がなかった。
受け手からしたら、前者には物凄く感謝をしますし
助けられたという恩義を感じます。
この違いは重要だと思います。

少し話は違うのですが
私の友人の話です。友人は医師をしています。
友人は親が癌で苦しんでいるのを見て育っていますから
とにかく、少しでも楽にしてあげたいという思いで、親身になって患者と接します。
ところが、親が医師なので自分も何となく医師になったという医師仲間がいて
その人は癌患者に対しても、
痛い、しんどい、のは癌なんだから当たり前っ!
という考え方です。それで
マニュアル通りに、痛み止めのとんぷく(大麻)を出して、ハイ終了です。
さして話を聞いてあげる訳でもありません。
何が言いたいかと言うと人の痛みを知っている人は
その人に寄りそう事が出来ますが、そうでない人は
うわべだけの接し方しか出来ないという事です。
もちろん全ての人がそうだとは言ってません。
御話なので極端な例を取り上げているだけです。ご了承くださいね。

話を戻しますが
悪事を行うのは当然悪い事です。
ですが、人の痛み苦しみを知る事で、人様に寄りそって、
感謝される善行が行えるのだと感じる事が少なくありません。



菊池寛の「恩讐の彼方に」は
皆さんもよくご存知だと思います。
そのロケ地が大分県の山国の耶馬渓(やばけい)  です。
そこの青の洞門を舞台にした物語です。
そして
そこからまた随分と奥に行きますと
その先に「雲八幡宮」というお宮様があります。

「雲八幡宮 徴と奥義」不思議体験シリーズ

私が勝手に三柱鳥居という持論を展開した石積みもそこにあります。

人間誰しも過去に傷の一つや二つはあるものです。
もちろん、何もないにこしたことは有りませんが
止むにやまれぬ事情って言うのもまた人生には付き物です。

私の自動車免許証はゴールドです。
全くの無傷です。

ところが、
しかし、

ゴールド免許だからと言っても違反はゼロとは限りません。
たまたま偶然、運よく、
警察官が視ていなかったというだけの場合も少なくありません。
つまり、
その観点から鑑みますと
世の中には"前持ち"(前科持ち)でない人も、
たまたま偶然、運よく捕まっていないだけの人もいると私は思います。

全く無傷の人が善行を行う事は本当に素晴らしいですが
申し訳ありませんが
信念的なものが無い場合が少なくありません。
そう言いますのは
実体験からもそういう人に何度も出くわしているからです。

善行をする人を見ていますと
「出来る範囲で」「楽に出来る分だけ」
「暇な時にちょっと(気が向いた時)だけ」てな感じです。
それが悪いなんて事は言いません。
とても素敵な事です。

ただ前持ちの人の場合は違います。
信念、情熱、根性、そして愛と懺悔の心
その他諸々の思いを強く感じるのです。
例え悪条件で有ってもやり抜くという気迫を感じるのです。
それはある意味「罪滅ぼし」であるのですが
その心意気には感動感激するところが大きいのです。
それは丁度「恩讐の彼方に」の様な爽やかで潔く、それでいて
どこか、もの悲しさを伴っている傷(罪)を背負った人達の歩む人生に
時々、人類の儚く、そして終わりのない厳しさを重ねてしまいます。

基督教的な例えでは、
人は生まれながらにして「罪人」という事になります。
そこだけ見ますと「そんな馬鹿な事は無い!」と言いたくなります。
ところが、しかし、
めぐりやカルマを考えていきますと、
そういう事もありなんと思えて来るのです。

不思議シリーズの中でも話した事がありますが
私はそれは「罪」ではなく「足枷」だと思っています。
罪と言う名の足枷であり「制限付き」の人生だと考えています。
その制限というのが「有死」という限られた時間内で
どれだけ善行を行い、自身を高めていけるかだと考えています。
自分だけではなく、どれだけ人様に貢献できるかもまた試されていると
私は思うのです。
常連さんのメールに「地球は刑務所だ」と宇宙人が言っているという話を
聴かせてくれましたが、「なるほど」と思いました。
少々パンチが効いていますのでショッキングな喩えではあるのですが
それもまた分かりやすい喩えだと思いました。

「イエスは病人だけでなく、罪人の為にも来られた」
という聖書の箇所があります。
罪人は悔い改めて必死に罪を償おうと己が人生を奮い立たせます。
ところがしかし、元気で裕福で何不自由なく生きている人は
逆に好き放題していたりします。
挙句に持て余した財力や時間を良からぬ事に使ったりします。
「天国へは貧しい者、病める者や罪人の方が近い」
とイエスが言われた理由を「恩讐の彼方に」を読みますと
より一層理解が出来ます。

じゃあ、千さんは罪人なんですかと聞かれましたら
きっと、そうだと私は思います。
今生で罪が無かったとしても、前世、或いは前前世で、そのまた前世で
何某かの罪があったに違いありません。
人間はどうしたって、生まれて死ぬまでに何の罪も犯さないなんて
有り得ないと私は考えます。その罪とは警察に捕まる様な罪とは限りません。
法律では裁かれない様な罪って言うのがあるからです。
合法だから罪ではないなんて思っていたら、
痛い目にあうという事を知っておいてほしいのです。
法律を超越した神仏の目から見た罪というのがあるからです。

幾つか例えを言いますと
道を尋ねられても通勤途中だったりしますと急いでいますから
東京だとスルーされる事が多々あります。
「東京の人は冷たい」と言われる理由であり原因です。
ところが、しかし、
道を聞かれたからと言っても教えなくても逮捕される訳ではありません。
つまり合法です。この世的な法律では全く問題がありません。
しかし、道理や道義、人情的に見ますと酷い話です。
そういう事も神仏は全て漏らさず見ているという事です。

困ってる人を助けるというのもそうです。
聖書には未亡人には親切にする様にと教えています。
例えとして考える事も出来ますが、
ストレートに受け止めて考えますと
旦那を亡くした婦人は早速、明日から食べていけません。
稼ぎが無くて路頭に迷います。
誰か助けてくれと言ったところで、不景気ですから
誰も助けてくれません。
ところが、しかし
男気(おとこぎ)のある人物が現れて
ウチの会社も不景気で厳しいけど
未亡人が困ってるんだからと言って
「安月給で良ければウチの会社においでなさい」
と言って雇ってくれた。
これも法律では放置しても問題がありませんし
雇わなくても合法ですから逮捕されません。
しかし、
親切に未亡人を雇い入れたこの男は
天界でそれを見ていた神仏が大満足している事になる訳です。

話を戻しますが、罪が無くなったら、
その人間はもう生まれて来ないでしょう。
或いはその系列や血筋の人間と言うべきかもしれません。
転生から卒業するからです。
もっと簡単に言いますと極論ですが
極端な喩えだと理解した上で聴いてくださいね。
子供がいない、子孫が出来なかった人もそれに入ります。
この話をすると長いので、簡単に短く話しますが
ただし短く話しますと、納得のいかない部分も出て来ると思いますが
全てに当てはまるという訳ではありませんので安心してください。

もう一度言いますが飽く迄も極端な例ですが
高貴な人、武士の中での頂点、特に有名な藩侯(藩主/殿様)なんかだった人は
今の時代に至っても、親戚や子孫が沢山いたりします。
それぞれにカルマ的なめぐりを解消する役目をこなすのに大変だからです。
つまり子孫を多くして、めぐりやカルマを分散して請け負ってるのです。
ところが、名も無き一農民だった人、正直な商人だった人などなどですと
その内に、子孫が絶えていきます。
善良な人、真面目に、そして必死に人命を救う為に奔走する仕事だった人は
医師や火消しなんかの子孫は、だんだんと子孫が絶えていきます。
宗派にもよりますが僧侶、それに神父は結婚をしません。
だからと言って罪が無いかどうかは人にもよりますが、
ここでは極論の例え話という事ですので
罪なき人々というカテゴリーに組み込みます。
子孫を多く持つ事になった人を見ていますと
見えて来ますのは
先祖の罪、親の罪、そして自身の幾らかの罪を
背負い、そしてその解消の為に生きている事になります。
つまりは聖書の言うところの人は生まれながらに罪人という事になります。

ところで私の様に最初から一人で人生を歩もうと決めている人もいます。
私は神父だった前世がありますから、子供も子孫もいないハズです。
ところが、もう一つの同時代の前世があり、そこでは結婚して子供がいました。
本当なら輪廻転生から卒業出来ていたはずなのですが
もう一つの人生でやり残した事があったようで、再び生を受けたようです。
強引に生まれ出て来た可能性があります。
それは目さえ見えていたら、もっと日本の為に貢献が出来たという強い思いが
転生をさせたと思います。それだから人生の大半を掛けて
神様事の為に時間を費やしたいと思ったのです。
ま、現実を見ますと、
トンデモオカルトで、しかも拙い文章の作品ばかりですから
人様のお役には立てていないですが。
それでも、とにかく時間を惜しんで日本中を駆けずり回っています。
結果は大した事ないのですが、その努力を神仏は漏らさずご存知なのです。

聖書にはイエスの言葉で「できるなら結婚をしない方が良い」という箇所が
一ヶ所だけ出てまいりますが、ほとんどスルーされています。
私の解釈ではそれは、
結婚しないで済む人生であれば幸いだという風に解釈しています。これは
子供や子孫にまで借金(罪の為のカルマやめぐり)を
背負わす必要がない人生と換言できます。
それは素晴らしい事ですし、幸いだと言うことです。

またこういう話があります。
田中さんという人がいて
先祖の罪なのか、両親の罪なのか、
とにかく代々不運つづきなので困ってると言うのです。
ところがある日、養子に出て苗字を変えた途端に
運勢が良くなったという話があります。
これを姓名判断などで言いますと
苗字や名前の画数が悪かったなどという事になるようです。
が、しかし、私が思うに
その苗字、その家系、先祖にあるカルマやめぐりだったと思しき例と言えます。
もちろん、何もかもこんな迷信で片付ける必要はありません。
心を強く持って「何くそっ!」と言って生きて行けば良いだけです。
それでも、精神的に参ってしまったら、一つの方法として
いろいろと思い付く事を、名前の漢字の画数を変える、養子に行くなど
やるだけやってみるのも生きていく為の知恵だと私は思います。

結婚しなかった人、できなかった人は幸いです。
また、子供が出来なかった人、いない人もまた幸いです。
その人はその家系においてアンカーだからです。
リレーのアンカーと同様で責任重大ですが
それでカルマやめぐりから卒業する事になります。
先祖代々続いて来た輪廻転生から最後のバトンを受け取ったのです。
アンカーですから責任はあります。
その分、大変厳しい人生になるでしょう。
しかし、それはその人が全てを一身に引き受けた故の事です。
どうか、あきらめないで、命を大切にしてください。
遅くなっても必ず光はその人に差し込んで来ます。
絶対です。
だから大丈夫です。
生きてください。
それが任務です。
大きなミッションです。
人生という名の修行であり、卒業の為のイニシエーションです。
嫌な思いや、つらい思いをさせられるのは浄化の為です。
硬いタワシの様なタオルで体をゴシゴシ洗っている様なものです。
罪や汚れ、カルマやめぐりをゴシゴシ洗っていると思ってください。
とても痛いですが、タワシで洗うとガッツリと汚れ(罪)がとれます。

カルマやめぐりの話をしますと、決まってこう言う人が出て来ます。
「自分はAくんに悪い事はしていない」
「それなのにどうしてBくんから嫌な事をされるのか」と言った内容です。

「悪口を言ったら、その人から悪口を言い返された」
などと言う分かりやすいカルマやめぐりのしっぺ返しだったら
誰だって、甘んじて受けるでしょう。
しかし、カルマやめぐりって言うのは
全く無関係の人や知らない人からしっぺ返しが返ってくるものです。
しかも2倍や3倍、10倍と言ったぐあいだったりしますから
本人は「なんで?」と思ってしまうのです。

そういう時こそ、
今、自分は自身に与えられたカルマやめぐりを洗ってもらっていると
理解して、「ああ、自分は今、この瞬間に洗い清められているんだ」と
思って「ラッキー!」と思えば良いのです。
こういう浄化の時は誰にも訪れるものです。
逆に浄化が無い人生だと、その分のカルマやめぐりを
誰かが背負う事になります。
親や兄弟、子供や子孫が背負う事になるという心配があります。
「今泣いている人は幸いなり、笑う様になるからだ」
と聖書にある通りです。
この程度で済むなら有難いとでも思って辛坊してください。
実際に巡り巡ってご自身に返って来ているモノかもしれませんから。
自身のめぐりやカルマ的なモノなのに、
もしそこで「こん畜生!」なんて思ったりして
言い返したり、やり返したりしたら、それはもう
いつまで経ってもカルマやめぐりの解消は出来ません。
それどころか、どんどん積み上げていく結果になりかねません。
「思い、言動、行い」全ては思いから始まって
言葉になり、行いになっていきます。
思い(考え方)によって、自身を戒めたり、自重したり、制したりする訳です。
今、与えられた厳しい現状と葛藤する思いを制する為に
ご自身の中で戦い、制して、勝利してください。
嫌味を言われても、制御して、踏ん張って下さい。
「負けるが勝ち」ということです。

逆に怒り狂って、怒鳴り散らして、相手を威圧する人は
いつか、自分の身にそれが返ってくるでしょう。
或いは、その人の子供や子孫に受け継がれるかもしれません。
そういう事の無いように、今、与えられた人生の日々を
冷静に、そして如何に平穏に生きるかによって、また
如何に波動の高い(振動数の高い)人生を過ごして行くかによって
子供や子孫に、良き人生のバトンが渡せるという事になります。
荒々しい人生を生きた人の子供は結局そのバトンを受け継ぎます。
もしその子供に実力がなかったならば、器でなかったならば
受け継いだカルマやめぐりの大波に飲まれて壊れてしまいます。
そういう訳ですから、子供や子孫に妙なバトンを与えない為にも
自身の人生を平安に大切に生きるという事にも目を向けてみて下さい。

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【恩"臭"の彼方に】
さてさて、いつもの様にというか
いつも以上に、長い、長~い、前置きでしたね^^

そして、いつもの様に
以下はフィクションとして話して参りたいと思います。

「恩讐の彼方に」ではなくて
「恩"臭"の彼方に」という体験をした事があります。
何だか意味がよく分からないですよね^~^

平安時代に源頼光と共に戦っていた鬼退治の四天王がいました。
その中の一人に渡邉綱がいます。
不思議体験シリーズで幾度となく名前を出していますので
詳細については省略しますが
その渡邉綱のゆかりの地を巡る旅をした事があります。
渡邉綱が武蔵の国の人なので、
お墓も関東にあると思ってらっしゃる人も多いようで、
真っ先に埼玉のお寺にある渡邉綱のお墓に行かれる方が少なく無いようです。
渡邉綱は京都で大活躍し、大阪に居住したのは有名です。
源の名から渡邉の名に変えたのも大阪に居住した為です。
それで私は大阪にある綱公のお墓に参る事にしました。
駅からかなり離れていたのですが
とにかくテクテク歩いて行きましたら、
その近くに神社がありましたので
参拝していく事にしました。
自宅でもそうですが
こういうのは順番があります。
神棚を参ってから、仏壇に手を合わせるという具合です。
なので、お墓に参ってからだと順番からして、ちょっと困りますので
先に神社へ参り、その後にお寺に行くという形式上の建前を重視したのです。

ま、それはともかく

その神社での話です。

不思議な事が起きたのです!


境内に入り、参道を歩いていましたら

とある一角で、ふわぁ~と花の香がして来たのです。

それはもう何とも言えないぐらい良い匂いでした。

どういう事なのだろうと

周囲を見回しましたが

どこにも花は咲いていませんし、

それに何より、

参道の一部の場所だけでそれは匂うのです。

不思議だなぁ~って思うと同時に何とかこの謎を解明したいなどと思い

しばらく、その辺りを右往左往して匂いの元がどこなのかを探しましたが

不思議なことに、その場所一点だけで匂う為に

どうしても、匂いの元がどこなのか分かりませんでした。

ところが

諦めて、参道を進み、そして参拝をしていましたら

あら、不思議

前方からふわぁ~っと花の匂いがしてきました。

参拝後に、拝殿、本殿など調べましたが

やはりどうしても匂いの元が分かりませんでした。

仕方がないので、
「良い匂いを有難うございました」なんて事を
本殿に向かって独り言の様に呟きました。

すると、

びっくり

前方に社殿があるので、風が吹いてくる事は無いのですが
その前方の社殿からドーーンという力強い風と共に
先ほどの花の匂いがして来ました。

私の為だけに匂いを送ってくれているというのを悟った私は
なんとも言えない感動とただただ嬉しいという思いで満たされました。
本当に嬉しかったです。

どうして、このようなネタバレの話をするのかと言いますと
先に作りたい作品が山積みになっていて、
いつまで経っても、この作品をつくる目途が立たないからです。
ネタバレですが、先に感動を伝えておきたいと思いました。
嬉しかったことって早く誰かに聞いて欲しいですよね?
まあ、そういう理由です^^

長々とお付き合いを頂きまして有難うございました。

ちなみにこの旅の最後に巡ったのが
以前に御話をしました京都の鬼の首塚がある「首塚大明神」です。
そこは本当に怖かったです。ガクブルでした。


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以下は、「恩讐の彼方に」青の洞門の映画のシーンです。
19分35秒あります。

青の洞門
https://www.youtube.com/watch?v=S1Sfj6wFKNc




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タイトル通り、動物との再会です^^

超感動的な飼い主と動物の再会【2024年】
https://www.youtube.com/watch?v=4ZRsjy7NWFk





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本日はここまでです。
いつもご来訪を頂きまして有難う御座います。
それからメールの方もいつも有難う御座います。
皆さんの平穏無事をお祈り致します。
それでは、楽しく安全なお盆休みをお過ごしください。

誤字脱字などの確認がまだですが
今から客が来るとの事なので
今すぐ投稿します。
またしばらくしたら、
しれっと誤字などの修正をしますね^^